映画「死神」は今もまだ、、、

 福井工業大学には2006年から奉職して、2015年の3月まで。9年間をつとめました。大学教員としては初任地。就職した年はまだ29歳だったので、20代から福井にいたってことになります。大学を卒業後、スリランカに就職して、中国大連からマイアミ、ロンドンへと海外をフラフラしていた自分もあることだけは決めていてて、30歳になるまでに食えるようになる。もしダメだったら、永源寺で出家、と決めてました。その意味では出家せずに済んだ。それが良かったのか悪かったのかはわかりませんが。

 そんな感じで就職に成功したのが福井工業大学。はじめ所属していたのは経営情報学科、その後、新しくできたデザイン学科に所属となります。福井工業大学の教員だった9年間は、未熟な自分で大学には大いに迷惑をかけたのですが、本当にいろいろと学べた、自分にとって大切な9年間でした。その9年間の間に、福井市が特に取り組んでいたのは、中心市街地の活性化。これが当時は全国的に非常に重要とされていた課題だったので、地方大学につとめる身としてはそれに関わるようになるのは時間の問題。特に、都市計画を自分の中心ではあったのですが“闇の研究の専門”と位置付けていた私にとって、中心市街地の活性化に関わることは大切な時間でした。闇の研究としていたのは、当時は表では専門を都市計画ではなく、メディアデザインとしていたからです。でも、こっそり論文を書いていたのは都市計画分野。

 ”まちづくり”に関わるようになり、大学の先達の先生方に言われたことは「気をつけろ」ということでした。彼らがいうには、中心市街地、商店街の活性化に関わった教員はみんな、心がすり減り、つぶれていく、ということでした。そうなのだろうか、半信半疑ではありましたが、その後、実際に商店街の活性化に関わり、それはほんまにそうだな、と気づくわけです。

 福井の街の物語展、という展覧会を駅前の商店街でやりました。これは福井市の助成を受けて、街の思い出や歴史を掘り起こし、街の魅力につなげよう、という企画です。これは、今はハピリンになった場所にあった、福井駅前ショッピングプラザ(?だったと思います)で開催しました。この企画では、福井出身の映画監督、吉田喜重監督へのインタビューを掲載した壁新聞の展示や、福井新聞の昔の新聞の展示、そしてメインイベントとして福井出身の津田寛治さんに登壇していただくシンポジウムなどを企画しました。

 この企画のために、毎日毎日、ショッピングプラザに行っては、お昼を食べ、夜はそこの居酒屋で飲み、津田寛治さん来るんですよ!と店の店主とは飲みながら語り、僕としては、先達の言葉、気をつけろ、って心配ないやん、みんな協力的でうれしい、と思っていたわけです。そして、イベント当日。

 本当に大変な日になりました。イベントの企画書は当然ながら、お店全部に配り、当日プログラムも飲みながら配り、説明をして。しかし、当日にまず居酒屋の店主がいったのはステージに座る津田寛治さんを見て、「津田寛治やん!」との驚き。いやいやいや、来るって言いましたよね?そして、イベントを手伝ってくれている学生に対して、とある飲食店の店主が怒鳴りながら怒っている。聞くと、なんで俺の店の前で、他の店の宣伝が載っている壁新聞が展示されているんや!?いやいや、言いましたやん。その怒鳴っている店主は、私の顔を見るなり、あ!という感じで、店の中に帰って行ったわけですが。。。当然の如く、この商店街の方々が告知に協力してくれたことは微塵もなく、まだ福井に人脈もない自分だけでの集客だったので、なかなかにしんどいイベントとなってしまいました。

 終わってから、再び、お店にご挨拶にまわります。そして言われた言葉は、「で、次は何してくれるん?」

 これはすり減る。これで大学教員がみんな潰れていったわけがわかる。まず、商店街。なぜに自分が協力しようとしたのか、それは商店街が“みんなのもの”だからです。その町で生活する子供たちや大人たち、みんなの人生を彩る町の風景が商店街だから。だから、僕は協力したのです。しかし、彼らにとって商店街は自分たちのもの。そして言うことは、まちづくりは「よそ者、若者、馬鹿者」に委ねないといけない。いや、違うよ、受益者はあなたたちだから。だからあなたたちが頑張らなきゃいけないんだよ。そういう言葉は通じないものでした。

 しかし、潰れる教員にはなりたくなかった。その時のシンポジウムで、津田寛治さんに舞台で聞きました。「何か撮りたい映画はないですか?」と。そしたら、彼が答えたのは「福井のホームレスの映画が撮りたい」ということでした。そして、私自身がその後に加わることになった、フクイ夢アート、という企画で、その言葉を実現し、津田寛治さんに監督をつとめていただき「カタラズのまちで」という映画が世に出ました。

(余談ですが、この「カタラズのまちで」は12月22日に岐阜県各務原市で開催される各務原映画祭で上映されることになりました)

 その後も、フクイ夢アートには関わり続けました。本当に楽しかったので。ただ、不思議な世界はありました。アートイベントを商店街のためにやっているのに、それこそ文字通りの罵詈雑言を商店街の人からかけられることを本当に何度も見ました。それは世界的に有名なカメラマンが、福井の女子大の団体の写真を撮ってる時、市役所の人たちに、「なに店の前で撮ってるんや!!!許可は取ってるんか!」。もちろん、役所の人たちです、道路使用の許可を取っています。不思議なもので、受益者の商店街の人たちがこんな感じで、その一方で、市役所の人たちや大学教員、学生たちだけが活性化のために身銭を切っている。不思議な風景でした。

 ただ、もちろん、それは全員のことではありません、そういう変わった商店街の一部の人たちと日々大変な付き合わざる得ない、心ある商店主の方々。応援してくれる市民の方々。フクイ夢アートで活動した時は、それまでの自分だけがしんどかった世界とは違う、実際の社会の大変なところにまで足を踏み入れても、でもそれを一緒にできる仲間がいる、そんな心地良さに包まれていました。

 フクイ夢アートは、単なる自治体の思いつきの企画、と思っていた人も多いかもしれません。しかし、それをきっかけに、福井には映画祭が生まれ、商店に新しい店ができ、とあるタウン誌の編集長は脱サラしてそれこそ商店街のプレーヤーになりました。初めは空き店舗を活用してアートの展示をしていたはずが、いつのまにか、アートの展示ができないぐらいに空き店舗が無くなりました。それはすごいことだったのではないでしょうか?今の福井には、昔とは違う人たちが駅前の空間に生きています。昔とは違う時代になっています。ただ、そこには僕はいません。

 やはり、自分自身は、いつもどこかに所属していない、そんな感覚を持っていました。オール福井、という言葉は、あんまり好きじゃないです。それはなぜかというと、私のような他府県からやってきた人間には、仲間外れにされてしまうような、そんな言葉に聞こえるからです。私は福井の人以上に福井のことを好きだと思っていました。なぜかというと、福井の人は、生まれることによって福井に住みましたが、私は自分で選んで福井にやってきたのです。その中で、福井を見つめ、福井のことを考え、そうしてようやく福井のことを好きになっていった。でも、生まれが福井ではないこと、で、福井を好きでもない人がオール福井に加わり、福井を好きでも生まれていない私はオール福井には加われない。

 いつも何か、浮いている。福井の歴史のこと、空襲のこと、昔の人の思いの言葉のこと、それらを調べて、それを福井の何かに持って行こうとしても広がらない。いい音楽を集めようと企画をしても、大学生が自分たちの仲間でつくるクラブイベントには集客で勝てない。新しく福井のことを考える企画を考えても、パン祭りという集客が約束されたようなイベントには勝てない。

 まちづくりとはなんでしょうか。英語ではCommunity Developmentという言葉が一番近いようです。それはそこに住む人たちがみんなハッピーと思えば、成功したまちづくり。住む人たちが不幸ならば、失敗したまちづくり。そのコミュニティの中に住んでいない、住んでいないと感じていた私には、一生関われないものではないか、と思っていました。

 まちづくりという言葉に悩んでいた頃に、観光という世界を見つけました。そして、和歌山大学観光学部に異動することが決まりました。その時に、映画をつくったのです。「死神」という映画です。これは、あまり語ることはありませんでしたが、自分自身の世の中への葛藤を綴ったものです。過去にこだわり、何かを地味に模索している自分は福井ではアウトオブファッションだと思っていたのです。ここに出てくる死神は、きっと僕でした。

 福井を縁に出会った吉田喜重監督は、福井から東京へと引っ越したあと、福井に帰ることがつらかった、とおっしゃっています。そして、福井に仕事で向かうことがあっても日帰りで帰ることもおっしゃってました。しかし、福井で一緒に食事をして、送迎の車に一緒に乗った時、彼は福井の街をまざまざと見つめておられました。

 「私を厳しく送り出した故郷、福井。そのつらさを持ち続けることが私の福井への愛です」

 そう言われていました。福井だけでなく、大学教員としての生き方、そしてドキュメンタリー映画の監督としても、いつも自分自身が浮いているように感じます。教育に関する自分の思いというのは、時代遅れになっていることを日々感じます。正直、どう教育者として生きていくのか、わからなくなってたりします。

 死神の映画を作っていた頃のような気持ちになっているのかもです。しかし、それは多くの場合、忘れていることがあります。仲間もいるということ。今日も卒業生の言葉にいろいろ気付かされることや、勇気づけられることもありました。それを信じていきたいです。

 よかったら、そんな私の葛藤を見るためにも、死神、ぜひにみてください。そして、12月22日は各務原映画祭へ。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

Share
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする