矢櫃LIP
和歌山大学観光学部には、かつて「LIP(Local Internship Programme)」と呼ばれ、今は名称が変わった地域と共同で行うフィールドワーク授業「LPP」があります。LPPでは地元の自治体から依頼を受けて、学生を募集し、地元と学生が一緒にプロジェクトを進めます。観光学部を目指す高校生にとって、このプログラムは非常に魅力的に映るようで、「このプログラムがあるから入学した」という学生も少なくありません。
私、木川もこのLPPの担当を何度かつとめたことがあります。その中でも特に思い出深いのが、有田市矢櫃地区で行ったLPPです。

矢櫃は現在、ヤビツビレッジや移住者がオープンした店舗などで和歌山でも人気の地区となっています。また、タカショーデジテックさんが行い、地元の人々も誇る「YABITSU LIGHT UP PROJECT」という取り組みもありました。しかし、私たちがこのプロジェクトに参画した2016年当時、矢櫃は空き家問題と過疎化に直面し、危機的な状況にありました。
空き家対策プロジェクト
学生たちが取り組んだ課題は、地域の空き家対策でした。特に、寄贈された一軒の住宅をリノベーションする計画があり、そのために地域住民の意向を知りたいという要望を受け、学生たちは夏の間、地域を一軒一軒訪ね、住民へのアンケート調査を行いました。その成果を持って、寄贈された空き家は「くらしちゃる矢櫃」として宿泊施設に生まれ変わり、現在も地域の重要な施設となっています。としてオープンしています。

このプロジェクトの中で、少し悲しい出来事がありました。私たちの学生たちは空き家のリノベーションに取り組みたいという意欲を持って参加していました。しかし、ある日、調査中に休憩場所で別の大学の学生たちが支給された弁当を食べているのを目にしました。
市役所の担当者に確認すると、市役所が別の大学の建築家に空き家のリノベーションを依頼し、そのためにその建築家の方が関係する他大学の学生が来ていたとのことでした。その学生たちには弁当やアルバイト料が支給されていたのに対し、私たちの学生たちの活動は無償でした。弁当も自分たちで用意してたのです。
もちろん、抗議をしました。うちの学生たちはリノベーションをしたくて参加しているのに、それを他に依頼して、食事も出て謝金も出ている。それに対して、こちらは手弁当で住民一人一人に話を聞きに行く作業をしている。もちろん、住民はすべての人が優しく対応してくれるわけではないです。突然の訪問に怒られる学生たちもいました。しかし、それもリノベーションのために、と市役所のために、とがんばって活動していたのです。
この状況に対し抗議を行った結果、次回の調査から私たちにも弁当が支給されることになりました。しかし、この一件で、地域活動の難しさを痛感しました。

裸参りの復活
また、当時の自治会長から「裸参り」の復活という要望を聞きました。裸参りは地域の伝統行事「お日待ち」の一環であり、地域の若者たちが海に入り身を清めた後、戎神社と南龍神社を参拝するというものです。しかし、若者の減少を理由に30年ほど前から中止されていました。
「くらしちゃる矢櫃」のために地域の人々にインタビューを行った際、さまざまな声を聞くことができました。中でも印象的だったのは、この地域への訪問を熱望する人たちの思いや、急な坂道での生活に苦労する高齢者たちの声。そして何より、若者たちにこの地に戻ってきてほしいという切実な願いでした。その中で、地域のゲストハウスとして「くらしちゃる矢櫃」を整備する意義が明確になりました。また、祭をきっかけに、この地域に縁のある若者たちが再訪し、いつかここで暮らすことを考えてもらいたいという希望が語られました。このような背景から、裸参りの復活に向け、学生たちとともに海に入ることを決意しました。
ただ、問題はこの「お日待ち」が開催されるのが1月の上旬だという点です。つまり、入るのは真冬の冷たい海。そして、参加者の格好はふんどし一枚。学生たちは有志で参加する形でしたが、私も一緒に泳ぐ決意をしました。普段は水風呂にも入れない人間ですが、この行事に備え、事前に何度も水風呂で練習を行いました。また、役所の方々も参加してくれることになり、さらに嬉しかったのは、矢櫃出身の母親を持つ中学生も参加してくれたことです。
当日は早朝に集合し、ふんどしと榊を地元から提供してもらいました。寒空の下、集合場所である国民宿舎くろ潮さんから港へと凍えながら降りていきます。港では焚き火が用意されており、そこで体を温めてから寒中水泳に挑みました。泳ぎ終えると、次は神社への参拝が待っています。その道のりは急な坂を駆け上がる必要があり、普段運動不足の私にとっては地獄のような試練でした。しかし、沿道には祭りの復活を喜ぶ地域のおばあちゃんやおじいちゃんたちが集まり、「がんばれー」と声をかけてくれる姿に励まされました。



参拝を終え、再び国民宿舎くろ潮に戻ると、温かい風呂が用意されていました。冷え切った体を湯船でじっくり温め、誰もが無言で充実感を噛みしめる時間でした。その後、地域の法要にも参加し、住民の皆さんから感謝の言葉をいただきました。一つの祭を復活させた達成感とともに、この活動の意義を改めて実感した瞬間でした。
地域と学生
それからも、折に触れて矢櫃を訪れていました。また、学生たちを連れて矢櫃に撮影に行くこともありました。大学の案内でも、この矢櫃での活動は和歌山大学観光学部の成果の一つとして誇れるものでした。
次の映像は、矢櫃地区にある国民宿舎くろ潮さんを取材した映像です。
木川研究室の学生たちは、テレビ和歌山で、月に一度を目標に「6wakaイブニング」という番組のコーナー「リポートプラス」を担当しています。このコーナーを通じて、学生たちにも和歌山大学観光学部が地域とともに何かを作り上げたことを知ってほしいと思い、裸参りを見に行こうという提案を学生たちにしました。そして、それをテレビ番組にしてみたら?と学生たちに聞いてみました。そして、もし可能ならば、誰か実際に泳いでもらおうという提案もしました。学生たちに企画を任せ、有田市役所に取材の打診を行ったところ、「風景は撮影してもよいが、祭そのものの取材は不可能。参加者へのインタビューも禁止」という回答を受けました。
和歌山県に来て以来、何度も理不尽な取材拒否を経験してきました。そのたびに、「一体何を守ろうとしているのだろう」と疑問に思うことがあります。また、加太での一件も忘れられません。私はもともと和歌山市の加太が好きで、和歌山大学への異動を希望した理由の一つでもあり、この地域と良い関係を築いていきたいと強く思っていました。しかし、観光学部の学生たちと役所の方々とともに加太で活動していた時期に、とある有名大学の研究室が地域に新設されることがありました。それをきっかけに、それまで「シンポジウムでともに登壇し発言しよう」と言われていた学生たちの役割が、「椅子を並べるのを手伝って」に変わってしまったのです。有名大学の存在により、学生たちへの対応が手のひらを返したように変わる様子を目の当たりにし、非常に残念な気持ちになりました。それ以来、私は加太へ足を運ぶことがなくなりました。
こういうことを書くのはリスクでしかないことなのでしょう。しかし、利害の中に生きていない大学研究者だからこそ、書かなきゃいけないことと思っています。また、地域へのお願いはしかるべき人を通じてお願いするのが鉄則、と言われることもあります。おそらく、今回も矢櫃の知る人を通じてお願いしたら通ったのかもしれないです。でも、私はいつも正当な窓口からお願い事をすることにしています。大学教員だから特別、ってのはあってはならないと思っています。だからこそ、学生にきちんと担当部署に連絡するように言ったのでした。
さよなら、矢櫃。
多くの住民へのインタビューを通じて耳にした「この町に人が戻ってきてほしい」という痛切な願い。そして、前の自治会長が悲願として掲げた裸参りの復活。それらを受けて、行ったプロジェクト。当時の自治会長は今ではすでに故人となりました。美しい風景と数々の思い出が残る矢櫃の町。折に触れて訪れたこの場所ですが、もう行くことはないでしょう。
さよなら、矢櫃。
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