和歌山大学観光学部では、だいたいこの時期に来年の4月から配属される研究室の希望調査があり、そのためにそれぞれの研究室に研究室に興味を持っている学生たちが訪問する時期です。
今年の木川研究室への訪問は低調です。そして、希望調査を出すタイミングは木川、海外出張なので、駆け込み需要は期待できません。来年は少し大変な研究室運営になりそうです。

木川研究室とは何か。研究室自体は、私だけで構成されているわけではないので、その年その年の学生たちによってカラーや目的、雰囲気は作られます。でも、やはり毎年変わらないのは、そこに木川がいるということ、そのため、木川の影響は少なくない、それが木川研究室です。
だから、低調の理由は木川が原因です。木川の性格的な特徴が、だんだんと今の多くの学生にはあまり合わなくなってきた、そんな教員となってきたようです。それは木川が世間の主流とは離れてきた、いわゆるおっさん化が原因なのでしょう。
たまに学生から聞くことがあります。木川が吐く、内省的な言葉、愚痴、弱音、これらから、木川の“メンヘラ”が強く疑われている、と。なるほど、これが若者の世界なのかもしれないです。それだけ、自分の“弱さ”を隠しながら生きなければいけない世界になっているのだろうか、と。
私自身が建築家を目指す学生だった時。多くの学生は健全でした。国立大学の理系に来る学生はたいてい真面目で優等生です。それが建築という世界になると、勉強ができるだけでは通用しなくなる世界、いや、通用しないと見えてしまう世界。そこから自分自身を破天荒へと導く“大学デビュー”が始まります。
ただ、木川はそれよりも少し前から病んでました。それが少し、他の学生たちと違ったところだったのでしょう。社会が醜く見え、衝動的に命を断とうとするような行動もあったりもした。でも、とある建造物を見て、人を幸せにする建築、に憧れを持ち、そして建築を目指しました。

絶望の暗闇を見てこそ、人は何かを目指せる。
学部時代に師事した先生は西村征一郎先生でした。お酒が好きな先生で、西村研究室の飲み会は“明るく”なるまで続きました。朝方、2−3人しか残っていない学生の前で、先生が語る言葉、それは今でも残っている。ある時に言われたことは「建築家は真っ白なシャツを着たやつだけじゃない」という言葉。エリートとして順当に建築家となっていく人々に対して向けられた言葉でした。そういうやつに勝つ建築家になれ、と。
だからこそ、だからこそなのでしょう、私は当時、月に一度は爆弾テロ事件が起こるスリランカに渡ったのでしょう。
それから30年以上の時間が経ち、ある程度の安定した生き方をしている。しかし、それはそう外から見えるだけで、国立大学教員としてはなかなかに巻き込まれない事件もあり、家族のこともあり、悩みは尽きない毎日です。
18歳の頃、そんな昔と違ってきたのは、それは私だけではない、他の人も一緒だ、ということを知っているということでしょう。
建築が与える人への世界への実感、観光がつれていく人の日常の生き方と、ドキュメンタリーが描く人の生きること、死ぬこと。
48歳のおっさんもまだ戦っています。お金にならないことを全てやめて、与えられた仕事だけを過ごしたり、あとはお金のために道を逸らして行ったりすれば、もっと楽な人生です。でも、それは自分自身の18歳に怒られるでしょう。なんで、その人生を選んだ?と。一生、悩んで、苦しんで、だからこそできることを目指すはずじゃなかったの?と。
本当は、木川研究室はそんな研究室です。それに向き合い、それと戦う、そんな研究室。
でも、それは全員には求めません。
語りすぎたようです。こんな時にはこの曲を聞きましょう。「踊ろうマチルダ」という素敵な曲を。

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