シネ・ヌーヴォーにて「清水宏」を見る:「大佛さまと子供たち」「蜂の巣の子供たち」

実は、「日本映画」の歴史に触れる授業を担当したりしている。そのため、数多くの映画を見ているはずだ!と思われたりするが、実はほとんど見れていない。それはとても恥ずかしいことだとは感じている。

しかし、実は年間に200本以上の映画を見てはいる。ただし、その多くは短編映画であり、福井駅前短編映画祭、熊谷駅前短編映画祭、そして日本国際観光映像祭の旅ムービー部門への応募作品がほとんどだ。そのため、研究室のモニターに向かいながら一人で寂しく映画を見ている。だが、1895年のシネマトグラフによって、「映像を観客と共有する」という体験として映画が誕生した歴史を思えば、こうして一人で見る映画は、本当の意味で“映画”ではないのかもしれない、と感じている。劇場で映画を見る、その本数がかなり少ないのだ。映画の専門家のように、主だった話題作をちゃんと映画館で見ているか、と聞かれれば、見れていないと答えるしかない。

言い訳のように聞こえると思うが、実は映画は「見ようとして見る」ものはなく、見るべき時に見るもの、「巡り合わせ」で出会えるものだと思っている。自分の中で、その映画が必要だと思ったタイミングで、不思議とそんな映画に出会えるものだ。そして、実際、清水宏の映画に今回、出会えた。

このゴールデンウィーク、家族の帰省に合わせて大阪・九条に滞在した。近所にあるミニシアター「シネ・ヌーヴォー」で今はどんな映画が上映されているんだろう?と調べたら出てきたのが、清水宏特集。「清水宏?聞いたことないな」というぐらいの私は無知だった。
しかし、ネットで少し調べて代表作である「蜂の巣の子供たち」の説明を見て、これは絶対に見なきゃ!と思い、「大佛さまと子供たち」と「蜂の巣の子供たち」を二日にわたって鑑賞した。

蜂の巣の子供たち
1945年に松竹を退社した清水が、戦災孤児たちを引き取り熱海の山中で育てながら、48年に「蜂の巣映画」を立ち上げ自主製作した戦後第1作。清水が共に暮らしていた戦災孤児たちを本人役で出演させ、下関から大阪の「みかへりの塔」まで、復員兵と8人の浮浪児たちが旅するロードムービー。公開後、社会的に大きな反響を呼び、その後2本の続編が製作された。戦後の独立プロの嚆矢とし小津らも絶賛!

なんと、とんでもない映画なのだろうか。調べてみると清水宏は、戦災孤児だけでなく、出演者もアマチュアを好んで選んだという。その理由は「作為的ではない演技」を求めたからだという。
彼はプロの俳優を起用できない自主制作監督ではない。戦前は松竹で早くからデビューし、すでに成功していた商業映画作家なのである。その上で、アマチュア起用をした。特に「蜂の巣の子供たち」は、監督と撮影監督以外はほとんどがアマチュアだったとも言われている。そして、実際、その映画はこの背景があったがゆえに、えげつなく圧倒的な現実感を伝えた映画だった。その感想を備忘録として残したい。

「大佛さまと子供たち」

「蜂の巣シリーズ」の最終の3作目ではあるが、シネ・ヌーヴォーでは先にこれを見た。久しぶりのシネ・ヌーヴォーの席につき、あの独特の空気の空間で見る、35mmの投影の揺らぎがまずは心地よかった。

この映画は奈良市を舞台とした映画で、「蜂の巣シリーズ」として実際の戦災孤児が出演している。出演する戦災孤児たちは非公式の観光案内をしながら生計を立てている。ただし、そこには悲壮な空気はなく、たくましく明るく彼らは生きている。貧しい中にいながらも、倫理的に正しく生きようとしている。バスガールや彫刻家の男性とのあたたかい関係もあり、観客はそれゆえに彼らの内面に優しく歩み寄れる。ただ、彼らは身寄りの子供だった。ラジオで読み上げられる復員した人の名前をひたすら聞く少年。彼は戦場から帰らない父を待っていた。また、他の孤児たちもどこかに心に寂しさを抱えている。そして、それを優しく抱く、奈良の寺社仏閣、そして仏像。

映画館は満席状態。そして、映画の落語のようなコミカルな台詞回しに、観客はよく笑っていた。そして、ふっとでてくる、戦争の記憶、悲しみ。そして、最後の東大寺のシーンは、そんな過酷な子供たちを守っている存在を感じる、本当に暖かい映画だった。名作だ。

ストーリーをまずは離れて感想を語るが、奈良を知るには、この映画はとても役立つ。当時の奈良の街並みの様子が多く出てくる。そして、戦災孤児たちは非公式で観光案内をしているという体なので、仏像の紹介も含めて子供たちの解説によって「奈良」という土地の記録にもなっている。そこには、戦後日本における観光都市・奈良の風景そのものが刻まれていた。

そして、観客はそのような奈良の美しい風景や歴史に寄り添いながらも、子供たちの内面が出てくる瞬間に空気が張り詰める。なぜにこんなにも感動に包まれた劇場空間になったのだろうか。おそらく、これは清水宏という映画監督の作品を素晴らしさだけでなく、劇場にいた高齢の方々が心に抱き続けてきた過去の記憶があるがゆえの、共有された感情だったのかもしれない。

戦災孤児の生活は過酷だった。若い人でも「火垂るの墓」は見たことがあるだろう。清太と節子は戦災孤児である。戦時中には親を戦争で亡くした「神の子」であった彼らも、戦後は「浮浪児」と呼ばれ社会から忌み嫌われた。この作品の中での描写は、その意味では彼らに対して社会のまなざしは優しく描かれていた。大佛さまの手の平で寝れる、と聞いて集まる大勢の戦災孤児たち。愛情だろうか、安寧だろうか、それを求める子供たちの姿は、心を打つ。

「蜂の巣の子供たち」

「大佛さまと子供たち」と見る順番は逆になったが、これが「蜂の巣シリーズ」の第1作である。「大佛さまと子供たち」で主演を演じていた、岩本豊さんがこちらの作品ではまだ小さかったのがまずは印象的だった。舞台は下関から始まる。一人の復員兵が駅前にやってきて、そこにいた戦災孤児たちとの触れ合いから始まっていく。食べ物を与えると子供たちは「半分だけでいい」といい、それを不思議に思う復員兵だが、それは彼らの元締めの傷痍軍人に手付かずのものならば取り上げられてしまうからだった。そして復員兵は、戦災孤児たちと塩田や山仕事をしながら、大阪を目指していく。

映画の初めに出てくる文字があった。「この映画の子供たちにお心当たりの方はありませんか」という文字だった。この言葉が、この映画を特別の位置付けに持っていく。その後に展開される話は確かに劇映画ではあるが、ここには身寄りのない子供たちを知る誰かを探す目的もあったのだろう。

こちらの作品は「大佛さまと子供たち」に比べると、落語でいうところの「くすぐり」は少なく、より純粋に映画のストーリーが展開する。サイパンから引き揚げてきた戦災孤児は母を海で亡くし、海を見ると母を呼ぶ。そのカットのあとの長回しは監督の愛情だったのであろう。

親に育てられ、ユニフォームに身を包んだ子供たちに、ボロをきた戦災孤児が近づき、一緒に野球をやろうとする。子供たちは逃げていく。電報を打ちながら知り合いを探す女性も、先ほどの子供たちの元締めの傷痍軍人に夜の世界へと売られようとしている。そんな悲しい現実の中でも、復員兵と子供たちは、働いて、その自分たちの立場をなんとかしようとする健気な姿がこの映画では見られた。

彼らが目指した「みかへりの塔」は、清水が1941年に撮った映画と関連している。大阪にある児童福祉施設「修徳学院」のことを描いた作品であり、「蜂の巣の子供たち」の復員兵はここ出身ということになっている。映画では実際に修徳学院の子供たちも出演しているという。

ただ、私は最後の終わり方は理想的すぎる表現だったように感じた。その意味では「大佛さまと子供たち」のラストの秀逸さとは違うものを感じた。しかしそれは、この作品を映画作品として見た時だけの感想だ。それぞれのシーン、そこには本物が溢れていて、その断片がこの映画を忘れられないものにしているように感じた。

「蜂の巣シリーズ」

二つの映画を見た。その後に、九条の商店街を歩くと、ワンシーンワンシーンが思い浮かび、胸がつまった。この映画は演じられた映画ではなかった。実際の戦災孤児が、その時代に出演していた。清水監督が演技に長けた俳優たちを出演させなかった理由もわかるような気がした。そこには演技では到達できない圧倒的な現実の重さがあった。Authenticityがあった。

演じるとはなんだろう。映画では、表現者としての監督がいて、脚本があり、それを伝えるために、俳優は演じる。俳優が上手である、つまり監督の意向を受け止めきちんと伝えられること、また喜怒哀楽を豊かに表現できること。当然ながらアマチュアはその技術が足りないのだろうが、もし、それが当事者であったならば。戦災孤児の寂しさや悲しさ、を理解した人間がただそこにいれば、それは演じている役者よりも、真実がある。「蜂の巣の子供たち」の劇中で、一時女性と一緒に行動してそれから離れた孤児に、他の孤児が「今度はお母さんが恋しんじゃないんだよ、お姉さんが恋しんだよ、やなやつだ」と言う場面がある。この最後の「やなやつだ」の言葉は普通は出てこない言葉だろう。孤児同士の理解とある意味の嫉妬。それを実際の戦災孤児が演じることで、観客が読み取る真実。

清水宏、という監督を迂闊にも私は知らなかった。清水は映画の表現者としてほぼ完成していた戦前から、戦争と孤児たちの生活を経て、彼には人間を考える大きな何かを背負ったのであろう。それがこれだけの映画として一つの普遍に到達していた。

まだ、シネ・ヌーヴォーでの上映は続くようなので、見てほしい。

シネ・ヌーヴォーの今後の上映予定

「蜂の巣の子供たち」
5月7日(木) 13:50
5月10日(日)10:00
5月11日(月)13:35
5月13日(水)12:15
5月14日(木)13:25

「大佛さまと子供たち」
5月10日(日)13:40
5月17日(月)15:00

清水宏特集は、以下のページから。

詳しい上映スケジュール、予約はシネ・ヌーヴォー公式サイトから。
早い目に予約されることをおすすめします!

戦災孤児のことをもっと知りたい人へ

私自身が、この映画に心を動かされた理由の一つに、戦災孤児のことを研究していたこともある。空襲の研究を進めると福井においても和歌山でも空襲体験を高齢者から聞くことも多く、その中で戦災孤児であった方からも話を聞く。その中でも以下の本を読んでほしい。

石井光太(2014)浮浪児1945-―戦争が生んだ子供たち―, 新潮社

残された資料と当事者の証言から、
戦後史の闇に葬られた元浮浪児たちの過酷な人生を追う。

1945年の終戦直後、焦土と化した東京では、家も家族もなくした浮浪児が野に放り出されていた。その数、全国で3万以上。金もなければ食べ物もない。物乞い、窃盗、スリ……生きるためにあらゆることをした。時に野良犬を殺して食べ、握り飯一個と引き換えに体を売ってまで――。
残された資料と当事者の証言から、元浮浪児の十字架を背負った者たちの人生を追う。戦後裏面史に切り込む問題作。

「浮浪児1945-」には、戦災孤児の背景、世間の冷たさ、過酷さが存分に描かれている。しかし、その一方で、それでもそこにあった愛情、愛情からつながる関係、それも読むことができる。そして、最後のページの写真。そこまでの物語を読み積んでいるからこそ、その写真にさまざまなものを感じる。ぜひに読んでほしい本です。

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