観光学部から建築家が生まれる時代へ

 今、建築学会の大会が広島で開かれているらしい。そこでも議論になっているという噂だが、建築士の高齢化などを背景に、建築士の資格要件が大きく変わってきている。これは、これからの建築教育の現場にも大きなインパクトを与えるだろう。
 また、9月3日に報道された、大和ハウスの注文住宅事業をめぐるニュースも、今の時代を象徴しているように思う。

「大和ハウスの注文住宅、最低価格5000万円に コスト高で23道県は撤退」https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF281MV0Y6A820C2000000

 こうした建築を取り巻く変化を見ていると、これからの観光教育のあり方も変わらなければ、と思う。

まずは資格要件の変化。

 昔は、建築に関連しない学科を卒業した人が一級建築士を目指す場合、まず二級建築士になる必要があった。二級建築士になるには7年間の実務経験が必要で、さらに二級建築士の資格を取ってから4年間の実務経験を積んで、ようやく一級建築士試験の受験資格を得ることができた。
 一方、私は京都工芸繊維大学造形工学科の建築系のコースを出ているので、当時の制度では、大学院と実務を合わせて所定の実務経験を満たし、学部卒業後2年で一級建築士試験の受験資格を得ることができた。

 つまり、一級建築士を目指すうえで、建築系学科を卒業していることの意味は非常に大きかった。

 ところが、2026年7月31日に改正建築士法が公布された。改正法が施行されれば、建築系ではない大学を卒業した人でも、実務経験2年で二級建築士試験を受験できるようになり、通算4年の実務経験で登録できるようになる。そして二級建築士として登録すれば、一級建築士試験を受験できる。

 昔なら、一般の大学を卒業した人が実務経験から一級建築士試験の受験資格にたどり着くまで、単純化すれば最短でも11年かかった。それが、改正後は最短4年で一級建築士試験を受験できるところまで進めるようになる。

 実際、一級建築士試験はそんなに簡単な試験ではない。建築を専門に学んだ人でも相応の勉強が必要になる。だとすれば、大学では別の分野を学び、卒業後に建築の実務現場へ入り、働きながら建築を学び、試験勉強を続けて一級建築士を目指すというルートが、これまでよりはるかに現実的になる。

 少なくとも資格制度という点だけを見れば、「建築家を目指すなら、まず建築学科に入らなければならない」という時代は終わりつつある。
 だからこそ今、「建築家とは何なのだろう」と考えることに意味がある。

 建築士は資格。でも、建築家は少し違う。

 かなり昔のことだが、高校生の頃、父の友人の建築家たちから、「建築家が生まれる大学と、生まれない大学は明確に分かれている」と言われたことがある。
 今はどうなのかわからない。しかし、少なくとも当時は、確かにそういう感覚があった。

 建築家になりたかった私は、図面教育が厳しく、建築家を輩出する大学として評判の高かった京都工芸繊維大学を選んだ。西村征一郎先生の弟子になりたかったことも大きかった。

 「建築家が生まれる大学」とそうでない大学は、入試難易度で決まるわけではない。
 学校が持っている空気感のようなものだと思う。

 私が学んだ京都工芸繊維大学も、そういう意味では建築家を生む大学だった。教員からは何度も、「課題は家に持って帰らず、大学の製図室でやるように」と言われた。そして、「学年ごとに当たり年とそうじゃない年がある」という話も聞いた。
 当時の工繊の製図室は、学内で「不夜城」と呼ばれていた。夜中でも、いつも誰かが図面を引いていた。
 西村先生のゼミに入ると、先輩の模型づくりや図面を手伝う。コンペにも参加するし、先生の仕事も手伝う。ゼミの飲み会も長かった。まだ暗いうちに終わることはない、というくらいエンドレスで、朝まで建築について語り合った。建築について熱く語れることが、飲み会に呼ばれる条件のような感じさえあった。

 隣の岸和郎先生のところも、向こうは向こうで製図室にずっといて、大きな建築模型を徹夜でつくっていた。たしか、コルビュジエか何かの再現模型だったように記憶している。そこから、今では建築家として活躍している榊田倫之君なんかも育っていった。榊田君とは中学生の時に同じ塾に通っていた。高校は別々になり、大学で再会することになった。

 何度も言うが、本当に図面に厳しい大学だった。そこで身につける技術の水準は高かった。一時期は、「日本中の大手設計事務所の設計部長には工繊出身者が多い」と言われていたほどだった。
 当時は、設計のできる学生から組織設計事務所へ行き、竹中工務店のようなゼネコンの設計部へ行き、あるいはアトリエ事務所へ行く、という価値観があった。ハウスメーカーへ進む学生は、そういう意味では図面とは少し違うところに自分の得意分野を見つけた人、という空気があったように思う。

 でも、最近は時代が変わったらしい。

 工繊でも、大和ハウスが人気の就職先になっていると聞く。その大和ハウス自身が、先のニュースにあるように注文住宅事業を縮小していく時代である。もはや単純な「ハウスメーカー」というより、総合的な不動産・都市開発企業へ変化しているのだろう。
 そのような企業を目指す学生が増えているということは、「住宅を設計したいから建築学科に入る」という学生だけではなくなっているということでもある。
 20世紀的な建築教育と職業との結びつきは、大きく変化しているのだろう。

では、建築家とは何なのだろうか。

 建築学科を出て、建築の技術を身につけた技術者なのか。

 もちろん技術は大切である。しかし建築技術の多くは、実務の現場でも培われていく。では、技術さえあれば建築家なのか。おそらく、それだけではない。当然ながら、施主との関係を築く力も必要だ。しかし、それだけでも仕事は広がらない。
 時代を読む力。人間のための場所をつくる世界観。そして文化性。そうしたものも、建築家には必要なのだと思う。
 ここは少し皮肉でもあるのだが、図面の技術に優れた京都工芸繊維大学の卒業生は、施主との関係のつくり方や文化的な広がりという点では、少し狭かったのかもしれない。知り合いの建築家から、「工繊の卒業生は即戦力としては優秀。でも3年もすると他と変わらなくなる」と言われたこともある。

 建築家は世界を見る。人を知る。そして、空間に色をつくる。

 これは技術だけの問題ではない。「表象」の問題でもある。
 そして観光学には、この「表象」を扱ってきた大きな研究領域がある。

 観光とは、単に人をある場所へ運ぶ産業ではない。その場所をどう見るのか。どう語るのか。どう記憶するのか。それをつくる営みでもある。京都、熊野、瀬戸内、あるいは名もない地方の町が、「どのような場所として人の前に現れるのか」を形づくる。これはまさに表象の問題である。

 ただ、観光学部では図面を描かない。
 最近、思う。だったら、描けばいいのではないか。
 学部生の頃、先生から教えられたことがある。

 建築は、提案を目に見える形にして、それを相手に見せながら議論する仕事だ。だからこの技術は潰しが利く。でも、みんな変なプライドがあって、建築の分野にしか就職しない、と。
 考えてみれば、「目に見える形にして提案し、それを見ながら議論する」という方法は、別に建築学科の専売特許ではない。

現在、世間が大学に求めている変革の一つに、「文系から理系へ」という流れがある。

 もちろん、情報や工学をはじめとする理系分野の重要性は増している。しかし、現在の大学教育の問題を「文系か、理系か」という二分法だけで捉えるのは、少し解像度が低いと思う。政策を考える人も、事業を構想する人も、地域や組織を運営する人も、これからますます必要になる。
 むしろ問題は、大教室で大人数に向かって知識を伝えるだけの教育から、どのように脱却するのか、ということなのではないだろうか。
 観光学部のような実務系、社会実装系の学部に本当に求められているのは、単純な「理系化」ではなく、スタジオ型教育への転換なのではないか。

 つまり、「学習する共同体」をつくることである。

 誰かが何かをつくる。それを別の誰かが見る。批評する。刺激される。そして、また別のものをつくる。かつて工繊の教員が言っていた「当たり年」というのも、もしかすると、そういう連鎖が起きた学年だったのかもしれない。
 本学の文系教育も、文化として、みんなで何か目に見えるものをつくるところまではなかなか至っていない。ただ、学生たちとテレビ和歌山の番組をつくっていた時には、一つの「学習する共同体」ができていた。

 誰かが撮ってきた映像を見る。編集したものをみんなで見る。
 「ここは違う」
 「こっちの方が面白い」
 そう話して、またつくり直す。
 よく考えてみれば、これは製図室で図面を囲んでいたのと、それほど違わない。

 観光学部が学ぶ地方の問題は、多くの場合、衰退した場所をどうするのか、という問題でもある。
廃屋がホテルになる。使われなくなった幼稚園がクラフトビールの工場になる。商店街の空き店舗に、人が集まる場所をつくる。

 これは建築の仕事なのだろうか。
 そうかもしれない。
 でも、観光の仕事でもある。

 そして観光から考えるなら、建物をどうつくるかだけでは終わらない。
 そこに誰が来るのか。そこで何を経験するのか。その土地をどのように見るのか。
 地域にどんな物語があり、そこで暮らしてきた人たちにどんな記憶があるのか。
 そして、それをどのような場所として次の世代へ渡していくのか。

場所をつくることは、建築だけの仕事ではない。

 だから、観光学部に建築学科をつくればいい、と言いたいわけではない。

 むしろ、新しい学科をつくるときに、既存の建築学科と同じ人材、同じ科目、同じ価値観を並べるのであれば、それは新しい学科をつくっているように見えて、古い建築学科をもう一つつくっているだけなのかもしれない。
 新しい学科をつくるということは、新しい名前をつけることではない。
 新しい評価軸をつくることでもあるはずだ。
 「これまでの建築とは違うものをつくりたい」と言いながら、いざ人を選ぶ段階になると、「この人は建築ではない」と判断する。もしそうだとすれば、そこには少し不思議なねじれがある。 

 「建築ではない」と見えるものを排除することで、建築を守るのか。
 それとも、「建築ではない」と見えるものの中に、これからの建築を探すのか。

 私は、後者の方が今の時代には面白いと思う。

 だから、かつて工繊の「不夜城」の製図室にあったような「学習する共同体」を、観光学部につくることはできないだろうか、と思う。
 地域を歩く。人に会う。歴史を調べる。地図を読む。映像を撮る。そして、それを目に見える形にして、みんなで議論する。
 映像でもいい。地図でもいい。地域の物語でもいい。そして、図面を描いてもいい。
 空き家を改修してもいい。小さなホテルを設計してもいい。広場をつくってもいい。
 その中から、建築家になる学生が出てきてもいい。映像をつくる人が出てきてもいい。地域を経営する人が出てきてもいい。

最初から「あなたは建築」「あなたは観光」と境界を決める必要はない。

 建築士の資格要件が変わったことは、一つのきっかけに過ぎない。もっと大きく変わろうとしているのは、「建築を学ぶこと」と「建築家になること」の関係なのかもしれない。そして同時に、「観光を学ぶこと」の意味も変わっていい。

 「建築ではない」と見えるものの中に、これからの建築がある。

 観光学部から建築家が生まれる。
 少し、そんな夢を見てみたい。

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